![]() |
犬の読み物 > お別れの日 ( みい さん、ありがとうございました) |
家族として迎えるときに同時に考えなければならないのは お別れの日へのカウントダウンが始まったということ どんなに長生きしても、いつかその日はやって来る どんなに大切に思っても、人間より長生きはできない ある意味、その恐怖と背中合わせなのかもしれない 私は人生の中で、愛犬4匹を送り出した 一概に送り出したといっても、4匹4色 影響してくるのは、 飼い主の年齢、ペットの年齢、死因、介護期間、周りの人の理解や思いやり、ペット との絆、残ったペットが居るかどうか? などなど諸条件によって、 悲しみの深さや、心の整理にかかる時間は異なってくる 一番最近の「龍之助」の別れは平成17年1月1日 18歳の年齢だったが、まさに木が枯れるように静かな死を迎えた 老化現象も順調に迎え、それでも、ほぼ最後まで寝たきりにはならない、 「犬らしい最後」だったと私は思っている。 最後の数日は、飲まず食わず、排泄も一切なし、自分で起き上がることも、食べるこ とも出来ない状態だったが、 年末年始と言う事もあり、そばに居ることが出来たし、仕事へすぐ復帰ということも なく、心置きなく泣くことも出来た。 火葬場の関係上、亡骸を数日置くことになり、骨になるまでも時間があった。 苦しまない、安らかな最後は私の心を軽くした 多くの人に、いたわりの言葉をかけてもらったり、お花や龍之助の絵を頂いたのは、 心の支えになった それより何より、自分自身が一番驚いているのは、予想していたより心の整理に時間 がかからなかったことだ もちろん、骨は自宅に持って帰り一緒に居ますが・・・・ 亡くなったことを言うと、その後どうしたのかを、多くの人が同じように質問をす る。 「火葬したのか?行政に取りにきてもらったのか?」 「その骨はどこにあるのか?」 今も、家で一緒に居るというと、 「何故、納骨しないのか?何時するのか?」 そんな質問が次に来る 何故しないかなんて、私自身が寂しいからに決まっている 姿がなくなったのは理解できるが何もかもなくすのは辛すぎる 骨だけでもそばにあるのと無いのではぜんぜん違う 「49日でするのか?」 と人間の場合と照らして言う人も居るが、別に49日で納骨しなければ成仏できないなんて誰が言ったのだろうか 確かに、何時までもそばにおいて悲しんでいると、心配で成仏できないとは聞いたこ とがある しかし、自分の愛犬である たとえ姿が変わったとしても、私と龍之助の関係は何も変わらない ペットの墓地を購入しているが、納骨の日は、私が納得した日に決めている 以前の愛犬たちもそうしてきた。 前の犬はそれで3年は入れれなかった。 もちろん、骨をずっとそばに置いているからといって、何時までもめそめそしているわけでも 何時までも思い出に浸っているわけでもない ただ、手放せない、それだけなのだ どうしてかと言われても、なんと表現したら良いのかわからない 今までの経験の中で、最後の一匹という状態は一度も無い 残った子達の存在が大きな支えであり、そして癒しでもある 最後の一匹を亡くした場合、次の子と考えるのはとても勇気がいることだろうと想像できる 犬でおった心の傷は、犬でしか癒せないのかもしれない そう言ったって、何頭も、何時までも飼い続ける事は不可能である 飼い主である人間側も年を取るし、諸事情も変わってくるだろう その経験をいつかしなければならないことに、心のどこかで恐怖に感じているかもしれない 心の整理が早くついた理由に、上記の理由の他に実はもう一つある 右足元斜め後ろ横に、何か居る気がするのである それが龍之助だとは言わない 姿も見えないし、ましてわたしに霊感があるわけではないから、そう言ったものを見 たことは無い 例えるとすれば、ドライアイスのスモークのようなふんわりしたやわらかい形の無い もので でも、冷たいものではなく、でも暖かいのかといわれると、それもわからない そこを見ても何も見えないが、なんとなく気配を感じる そんな気がするのである それは、龍之助が亡くなってすぐ始まったのではないが、気が付けば、いつもあると いうか、感じるのである 思い過ごしかもしれないけれど、その気配が、私の寂しさを消し去った気もする 目には見えないけれど、私と龍之助は今も一緒なのだ |