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犬の読み物 >捨て犬 ( DSKさん、ありがとうございました) |
5年前、私が3年生の時に小学校に3匹の犬が捨てられていた。 多分児童達が引き取ってくれるのだろう、と元飼い主は思って、捨てたのだろう。 私は時間があればその3匹を見ていた。 私がとっても信頼していたA先生が犬の毛布等の用具で犬達を大変可愛がっていた。 私もそれを手伝いながら犬を世話した。 1匹、また1匹と引き取られたが、最後の1匹だけは引き取り手が現れなかった。 「引き取られなかったらどうするの?」と私はA先生に聞いた。 「う〜ん、ここで飼うか!」A先生は嬉しそうに言った。 だが、犬嫌いな人もいた事が災いし、1週間以内に引き取り手が来なければ保健所に送られる事になった。 A先生を含めた犬好きな先生がこれには大きく反対した。 「人間の依存で命を奪っていけない!」と強く反対していたのを強く覚えている。 私は飼う事を申し出た。家族が犬好きなのでいいと思ったのだ。 私の腕をあま噛みする犬を離し、家へと連れて帰った。 知り合いがドックフードを分けてくれたので、犬に与えた。 親が自分が犬を拾ってきた事に怒っていた。 「いいじゃん!拾ってきても!!」 「駄目!」の一点張りで承知してくれなかった。 性格も静かと言ったが、無理だった。 私は犬の可愛い眼差しを見て、胸が痛くなった。 「飼うことが出来ないなんて・・・」 私はこの犬に「フラン」と言う名まで付けていたのに、大変残念だった。 A先生に大変謝りながら犬を元の場所に戻した。 「先生、保健所で犬はどうなるの?」 「殺されるんだ・・・人間の身勝手な行為のせいでね」 「何で?殺すの!?」と保健所の実態を知った私は酷く動揺した。 「人間は、平気で63万等の犬猫を殺している。命を散らしているんだ」 「人間は身勝手だよね」とA先生は僅かな怒りを込めながら言った。 遂に最後の一匹も引き取られる事になった。 「保健所に行かなくて良かったね」と犬に言った。 それから半年・・・。 祖父が1匹の犬を拾った。子犬ではなかった。5〜7歳の犬だった。 祖父は躊躇せずにその犬を飼った。 「何でこの犬を飼うことにしたの?」 「野良犬だろうと捨て犬だろうと、生きている者には生きる権利がある」 「それを平気で人間の勝手な考えで殺してはいけない」と祖父は言った。 A先生の言葉もそうだが、祖父、A先生の言葉は3年生の私には理解できなかった。 理解できるようになったのは数年経ってからの事だった。 1年後、その犬を放していた為に漁師が釣った間々、捨ていた河豚を食べてしまい、死んでしまった。 これには涙を流し、その犬との思い出に耽った。 最後の一匹と再会した。立派に大きくなっていた。 性格は静かという事だった。 私を覚えているかどうかは分からなかったが、私を見る目は前とは全く変わっていない気がした。 やがて、A先生は違う学校に行ってしまい、祖父は他界してしまったが、二人の言葉、行動は今でもハッキリと覚えているし、後に私の考えに大きな影響を与える事になった。 2004年の12月24日。 妹が友人から犬を貰って来た。3年生の時の犬にソックリだった。 だが、性格は正反対で寂しがりで気性が荒かった。 けれども、その姿を見る度にあの犬を思い出した。 私にとっては嬉しい“クリスマスプレゼント”と言えた。 2005年2月28日。 友人と遊んでいた私は一匹の白い犬を見つけた。 人間の私を見て怯え、毛は汚かった。それに、弱っていた。 更には腹にエアーガンで撃たれた痕、背中にはナイフで切られた痕があった。 生々しく人間の非情さを現わすものだった。 私は持っていたお菓子を与えて、苦労しながらも家に連れて帰った。 牛乳、ドックフードを与えると、目の色を変えて食べ始めた。 親が私の行動に対して激怒した。 「犬ならいるでしょう!」 だが、私はA先生、祖父の言葉の意味を理解できる年になっていた。 この犬を飼わずに捨てれば虐待されるか、保健所で殺されるだけだ!と思って反論した。 「この犬を飼わずに捨てれば虐待されるか、保健所で殺されるだけだ!この犬を助けなければ一生後悔する!」 私の意志が届き、この犬を飼う事が可能となった。 今はその犬の人間への恐怖は無くなる様に一生懸命世話している。 私の夢は決まった――獣医だ。 人生の偉大なる先輩である二人から大きな影響を受けた。 二人の言葉、意思を基盤にして私は社会に出るだろう。 獣医として――。 例え、大人数で凶器を持っていて犬猫に限らず、弱者を虐待している場合は私は勇気を持って辞めさせるだろう。 自分が殺されても・・・・。 この行為は自分の意思を大きく現わす事になるだろう。 私の生き様として――そして、二人の偉大なる先輩の意思として―― |